2026年現在、日本の政治は歴史的な大きな変化の真っ只中にあります。自民党高市政権が進める強い保守路線に対し、公明党立憲民主党と合流して中道改革連合を結成し、新しい第3の勢力として立ち上がったからです。

「なぜ長年のパートナーだった自民党と別れたの?」という疑問を解き明かすために、公明党がどのような思いで誕生し、どのような道を歩んできたのか。その激動の歴史を時系列で詳しく解説します。

1. 誕生の背景(1960年代):庶民の味方として

戦後の日本政治は、大きな会社を応援する自民党と、労働組合を応援する社会党の二極化が進んでいました。その陰で、どちらからも助けてもらえない小さなお店の人や、病気や貧しさに苦しむ人々の声は、なかなか政治に届きませんでした。

 

1961年〜1964年:公明政治連盟から公明党

こうした人々を救うために、宗教団体である創価学会を母体として政治活動が始まりました。1964年、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」という立党精神を掲げ、公明党が誕生しました。

結党当初から、教科書の無償配布などの福祉政策を強く訴え、それまで政治に関心のなかった多くの庶民から熱狂的な支持を集めました。

2. 政教分離の確立(1970年):大きな試練と反省

勢いに乗る公明党でしたが、結党から数年で大きな壁にぶつかります。これが今の「政治と宗教」のあり方を決める重要な出来事となりました。

 

1970年:言論弾圧事件と組織の分離

党に批判的な本の出版を妨害しようとした事件が起き、世論から「宗教団体が政治を支配するのは危険だ」という厳しい批判を浴びました。これを受けて、当時の池田大作創価学会会長は「政教の分離」を宣言。

公明党創価学会の役職を兼任することを禁止し、組織を明確に分けるという決断をしました。これにより、一宗教団体の政党ではなく、広く国民に開かれた政党としての形を整えることになりました。

3. 与党への挑戦と葛藤(1999年〜2024年):連立の四半世紀

1990年代の政界再編を経て、公明党は「反対するだけの野党ではなく、政府に入って政策を実現する」という道を選びます。

1999年:自公連立政権のスタート

かつて激しく対立していた自民党と手を組み、連立政権が誕生しました。ここからの25年間、公明党自民党タカ派(軍事力を強めたい派)な政策に歯止めをかけるブレーキ役としての役割を担うことになります。

連立時代の主な成果: 児童手当の拡充、私立高校の授業料無償化、食料品などへの軽減税率導入。
支持者の苦悩: 2015年の平和安全法制(安保法制)の際などは、「平和の党と言いながら自民党に協力しすぎではないか」という不満が支持母体の創価学会員の間でも広がりました。

4. そして決別へ(2025年〜2026年):中道改革連合の結成

四半世紀続いた協力関係は、ある一人のリーダーの誕生をきっかけに終わりを迎えます。

 

2025年:自民党高市政権の誕生と路線対立

自民党がより保守色の強い高市政権に代わり、防衛費の大幅増額や、より強い外交姿勢を打ち出すようになりました。公明党は「自分たちが大切にする平和主義や生活者目線の政策が、このまま自民党の中にいては守れない」という危機感を強めました。

2026年:歴史的な連立解消と新党結成

公明党はついに自民党との連立を解消。同じく生活者の安心を最優先に掲げる立憲民主党(野田代表)らと合流し、中道改革連合を結成しました。これは、右にも左にも寄りすぎない「厚みのある中道」を日本の政治の新しい中心にするための、原点回帰ともいえる決断です。

5. まとめ:これからの公明党が歩む道

公明党の歴史は、庶民のために戦う情熱と、権力の中でバランスを取る難しさの連続でした。2026年、彼らは再び「庶民の味方」としての独自の色を取り戻そうとしています。

 

歴史の重要ポイント
  • 1964年:庶民の声を届けるために誕生。
  • 1970年:批判を反省し、宗教と政治の組織を明確に分けた。
  • 1999年:政府側で福祉を実現するため、自民党と協力。
  • 2026年:高市政権の右傾化に対し、立憲らと合流して新しい「真ん中の道」へ。

彼らが掲げる「食料品の消費税0%」などの政策が、実際に私たちの生活をどう変えていくのか。歴史を知ることで、その一歩一歩が持つ意味がより深く理解できるようになるはずです。