親ガチャとはソーシャルゲームのように「ガチャガチャのシステムにように親は選ばれ、当たり外れがある」という旨のいわゆる親に対する皮肉的なものです。
この言葉を聞いて「そんな言葉を使うなんて親に失礼」「親がいたからこそ今のあなたがいる」「私も貧乏だったけど、親には感謝してる!」といった否定的な意見があげられます。
確かに、、、。
僕も親に対してそんなこと言えないと思うタイプです。
自分の親に「親ガチャ」とは言えないですし、もし、言うのであれば「親ガチャで当たりを引いた」ということかなと思います。
ただ、親ガチャという言葉自体が使ってはいけない言葉とは思いません。むしろガチャ要素は強めだと思っています(笑)
例えば、「貧乏な過程で、日々虐待されていて、愛情を与えてくれない親」という家庭だった場合、その人たちは何を考えて生活するのでしょうか?
「親がいるから僕がいるんだよな。親の存在に感謝しなきゃな。」と思える人がいるのであれば、、、
それは神の誕生の瞬間です。
僕なら早速「親ガチャでノーマル以下の親引いたわ。リセマラしたい。」と思うでしょう(笑)
※リセマラ=リセットマラソンという意味
当たりが出るまで、リセットを繰り返すマラソンという意味です。
その状況に陥っている人を見て「親はガチャじゃない!感謝が足りない!」と思ったあなた、おめでとうございます。
新しい悪魔の誕生です(笑)
そんな中、「私だって、恵まれた家庭じゃなかったけど親には感謝してる!」と言っているそこのあなた。
あなたは残念ながらまだまだ神の領域にはまだ立っていません(笑)
僕ならその人にこう聞きます。
「親から愛情を注がれましたか?」
その人が「そりゃもちろんだ」と答えるなら、「だから、感謝できるんだよ」と返します。
「親ガチャ」という言葉の本質は「お金」ではないということです。
親への感謝=愛情の有無
と僕は考えます。
変異的な「特殊な才能や恵まれた体格を与えてくれた。」などの特殊な事例で感謝することもありますが、それ以上に重要なのは愛情でしょう。
ビッグダディはその一例でしょう。
大所帯でけんかも多い。決して平均以上の年収があるわけではない。
こんな状況でも、彼の子供の大半は親の愛情に対して感謝しているのではないか?と僕は考えてます。
とはいえ、親側の立場に立つとこの問題が深刻なように感じられます。
自分の子どもに「親ガチャ失敗した」とか言われてしまうと、ダメージは強めですよね(笑)
ただ、この問題に関しては親の愛情による気がします。
たとえ、思春期の子どもが「親ガチャ失敗したww」など言っていたとしても、根気強く愛情を注ぎ続ければ、大人になった時には必ず感謝されるはずだと、僕は思います。
感謝されないパターンがあるとすれば、愛情と甘やかしを混在させている親です。
このパターンは子どもを駄目にする可能性が高いので、気を付ける必要がありそうです。
ともあれ、本日伝えたい内容としては
- 親ガチャという子どもがいたら、まず親に目を向けてみては?
- 親ガチャと言わせない親をみんなで目指しましょう。
ということです。
「金がなくてもいい子は育つ!」
それを意識して生活したいと思います(笑)
それでは!